「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2 (Yosensha Paperbacks)」も読みました。続編ですな。今回もなかなか良いことを書いておられます。今回もなかなか、途中から暴走しておられます。ま、ご愛敬。
しかし、コレを読んでいるとほとほと「科学の敗北だなぁ」と思えて仕方がない。科学的に意味がないことなのに、世間はそれを信じ込んでしまっているのは、環境問題に限らずあらゆるえせ科学が氾濫するこの日本において、科学の敗北以外の何者でもない。そしてそれは、科学者の端くれを自称している人間として、歯がゆくて仕方がないのである。
日本はおそらくそういう意味で、科学に対して独特のポジションを持っているのだろう。
科学は絶対に正しいという前提(そしてなにやら難しいのでわからない→わからないことは恥ずかしい)、そしてお上のいうことも悪くはないだろうという思い(お上は信用ならないけど、ある程度信用ならないのがお上というもので、トータルとしてそこまで悪くはなかろうという安心感)があるんじゃないかな。
しかし、かつて挙げた「空気と戦争 (文春新書)」にあるように、科学の数字がある方針に則って算出されるとき、それは非常に危険な方向性に行くことだし、科学も政府も絶対はないということ、そして一意に決まらないこと=多様性(=さらにいえば分散があること)が重要なのだ、という理解がもっと、世間的常識になってもらいたいものである。
ま、愚痴を言っていても仕方がないので、どういう問題があってどういう解決策がありうるかを、ボンヤリ考えることにしている。
とりあえず、環境によいといわれていることはやらないでおこう。