(承前)
だが、あの変わり者の連中ときたらこの科学の罠を難なく見破ってしまったのだ。社会を脅かすゆえに彼らには抑圧を掛けるのだが、奴らと来たら抵抗するばかりか戦いを仕掛けてきたりするのだ。あの野蛮人め。どうやら彼らは、社会の抑圧を逃れ、本来の自分を生きる術を身につけたらしいのだ。
ドゥルーズは再び言う。「人を本来の自分に気付かせないようにしているのは父親と母親、そして精神分析医である」。なんてことを!我らが尊敬すべき両親に向かってなんて言い草だ。神をも恐れぬ大胆さとはこのことだ。だが、社会の公理系を代表して行使しているのが、彼らなのも事実だ。フロイトによると、我々は「エディプス・コンプレックス」を経験することで社会に適応するようになると言う。だから精神科医は社会に適応できなくなった人(ノイローゼなど)を、もう一度エディプス化するのだ。これが精神分析である。エディプス化は秩序を生み出す源泉となるものだが、このように秩序だった世界を望む傾向を「パラノイア」という。パラノイアは過度な妄想状態を呈する精神病のことであるが、それは首尾一貫した体系の世界を形作る。この意味で現実の社会もパラノイアだと考えられるが、それが社会の公理系に認められているがゆえに、妄想と区別されるのである。逆に、精神分裂病者は無秩序な考えを持つ。この状態を「分裂(スキゾ)」と言う。神経症も精神分裂病も現実に適応できなくなったと言う点では一致するが、その意味しているところは違う。両方ともエディプス化以前に退行していて、本来の自分である欲望の多様性、無秩序性に直面し、苦しんでいるのであるが、神経症はその無秩序性、スキゾから逃れようと、逆に言えばエディプス化されたいんだけどもあまりにもスキゾが出現するので苦しんでいるのに対し、精神分裂病者はスキゾを認めたいのだけれどもエディプス化されるのでそれが出来なくて苦しんでいるのである。スキゾとは社会の公理系から漏れ出す欲望、真の自分のことであるが、これを過度に否定(エディプス化)すればノイローゼになるし、肯定しようとすればエディプス化に対抗しようと自分で新たな体系を造ったり(パラノイア)、スキゾフレニーになったりするのである。そう、真の自分に直面すると言うことはかなりのリスクを背負わなくてはならない。エディプス化に対抗し、自分の考えを持つと言うことは、自分一人で自分を支える考えを作り出すということだ。もし失敗すれば、精神分裂病という恐怖が待ち受けている。
ドゥルーズは反論する。「そんなことはない。それ以外にも道はある」、「『遊牧民』になること、そしてそれを取り込もうとする『国家』と戦い続けること。パラノイアは何か安定した首尾一貫したものを造ろうとする。それはさながら定住民族に例えられるだろう。定住民族は『国家』を造り、相手を服従させようと戦争を仕掛ける。だが、歴史にも刻まれているように戦争は国家間同士だけで行われるものではない。国家と国家の間、広大な砂漠で生きる者がいる。それは砂漠とステップを駆け抜ける遊牧民だ。彼らはひとつの土地に定住しない。常に土地を移動する。否、土地を移動するというのは定住民の考えだ。遊牧民にとって広大な土地は旅するものでなく、彼らそのものなのだ。彼らは何ものにも縛られない。自分が旅するものだとは考えない。移動が彼らそのものなのだ」。
ドゥルーズは言う。「世界を統一した者と考える思考様式は、一本の木に例えられる。まず、太い幹があり、それに枝が着いていて、さらにその先が枝分かれしている。この樹木上組織(ツリー)は、現代の科学や人間の思考のモデルとなっている。一つの幹(公理)から、枝(定理)が派生する。そしてそこから更に・・・、と言った具合に秩序だっている。だが、これとは逆に欲望の多様性を受け入れる遊牧民の考えは根茎的だ。リゾームと名付けられたこの思考様式に、中心的な原理は存在しない。地下茎は地中をランダムに走り抜ける。ある線は交錯し、絡み合い、また離れ、時に地上に顔を出し、また潜って多様な方向に伸びていく」。
まったく馬鹿げている。それは第一、答えにはなっていない。もし私たちが望むとすれば、それは「新たな体系」である。パラノイアを否定しスキゾ的に生きられるような、真の自分とは何かを答えてくれる「体系」である。ドゥルーズが言っていることは結局、「死なない程度に分裂病になれ」と言っているに過ぎない。そんなことができるものか。「具体的にどうすればいいか」に答えなければ何も言ってないのと一緒ではないか。「それは自分で考えろ。まず、君がいる場所、君を捕らえて放さないものから逃げろ。別の土地を探し求めるのではなく、徹底的に遊牧民になれ」、だと。そんなことができるのはあの大馬鹿野郎しかいない。科学に真向から戦争を仕掛けるが、それでいて別に征服しようと言う風でもない。何か言うべきこと(体系)を持っていそうなんだが、それを語ることもない。そう、あの忌むべき道化師、「魔法使い」しか。