カッコつけて生きましょう

週末にうどん屋さんに行ったとき,うちの子どもたちがお店に駆けていったのと,競うように先に入り込んだおばさんがいたことで思ったのだけど。

客は客でね、紳士淑女であるべきなのです。お客様は神様です,というのはお店側の精神であって,客が「俺たちは神様だろうがぁ」というのは違う。

お店はお店で、プライドをかけておいしいものを提供する。客は客で、プライドをかけてえおいしいものを奇麗にいただくのです。で,美味しかったらまた来たらいい。もしお店が「うちは頑固なのでこうやってたべろ」とか言うプライドの押しつけをしてきても,美味しかったらそれでいいと思うし,その押しつけはやり過ぎだと思ったらその店には行かなければいい。客が「俺は神様だから亭主,うまいとは何だ?」とか言い出して,そのプライドの押しつけがやり過ぎだと思ったらお店の人は追い出せばいいのです。

客同士は,志を同じくするものとして,仲良く平行遊びをしたらいいのです。

 

同じことは大学の教育でも言える。もちろん大学教育は客商売ではないんだけど,それは売買するというスタイルになっていないことに起因するのであって,交換する上での売り手と買い手の矜持には似通ったものがある。

うちの研究室はハードだからね!とゴリゴリに教育を強要するのはありなんだけど,それは頑固なお店が食べ方をいちいち強制してくるようなものであって,客(学生)があわないと思ったらやめたらいいんですよ。別に無理して食べ続ける必要なんかない。客は知的な空腹を抱えて,知識欲を満たして幸せになろうとしているんだけど,売り手のプライドにつきあうのも限界ってのはあるもんでね。

あるいは,売り手が客に「うちも最近経営が大変でさあ・・・」みたいな愚痴を聞かせるとか,客に気を利かせることを強要するようになってはいけない。もちろんお店の経営が追い込まれているからそういう心情になることもあるんだろうけど,それは格好わるいよね。

一方で,売り手はいいものを提供しようとしているんだから,「いやもう,満腹ですわ」とか「別に食べたくなかった」とかいう客にはお引き取り願いたいわね。もちろん,俺は客なんだから口まで食べ物を運べよ,というのは考え違い。もちろん,サービスが行き届いたお店で,店主がそこまでしようというのならいいんだけど,どの店でもそのレベルのサービスがある,と思い込んじゃダメ。いいものは提供するけど食べるかどうか、口に合うかどうかは客次第で,原則そこだけで判断するべき。美味しくなかったらお店を変えたらいいとおもうし,周辺的なサービスがいいからいいお味,ってわけじゃないでしょう(子どもにおもちゃをくれるから料理の味が良いわけじゃない)。

問題が生じたときに,消費者の権利だ!ハラスメントだ!といった言葉でこの問題に対処しようとするのではなくて,逆にちょっとカッコつけましょうよ。俺は俺の価値観で判断するんだ,ということと,価値に合わないヤツを攻撃するんだ,ということはイコールではないでしょう。

みんなが幸せになるための,当たり前のルールとして,「みんなちょっとカッコつけましょう」というのを忘れちゃいけない。カッコつけることより,経済原理が勝るという世界はとてもカッコわるいことです。