個人と集団

立川談春「赤めだか」を読む。落語家になるプロセスというのは、そりゃまぁ特殊事例。そこに描かれる人物もみんな規格外、おかしな人ばかり。技術と審美眼に裏付けられた価値体系に生きる人たちの、面白い世界だった。俺も仮にも教え子を持つ身。見せ方、育て方、見極め方、いろいろ考えさせられる。
昨日夕飯を食べにふらっと入ったお好み焼き屋で、面白い兄さんの話を聞いた。北朝鮮とフィンランドとマレーシア以外の全部の国に行ったことがあるという人で、元美容師の会社経営者。バブルの頃は一晩1300万使ったよ、てな話を聞きながら、「大事なのは信用」「妻と家族が一番大事」という信念は大いに共感するところがあり。
さて、この週末はとある業務に従事しています。ありとあらゆる作業がマニュアル化され画一化されている、謎の集団競技。なんでこんなことやってんのかな、と思うことは全部「とにかくマニュアル通り」という言葉で潰される。創造性や自発性の禁じられた世界。これはどういう利点があるのか、と考えてふと気付いた。

言葉は悪いけど「どんなバカにでも仕事を与える」ことに意義があるんだ、きっと。

全く考えないor考えられない人のためのシステム。

human natureからnormal peopleへ、価値観が変わったことの成果なんだね。