昔読んだ,学研の「からだのひみつ」だったと思うんだけど。
子供達が博士のところに遊びに行って,博士が開発しているロボットがあるんだけど,博士が出かけている間にいたずらして「・・・したらどうなるんだろう,やってみようか!」ってやって壊しちゃう,という話があったのね。
博士は常々,「子どもはいたずらするもの。いたずらするぐらいが元気があっていい」という人だし,子供もそれを知ってて「博士はいたずらっ子はいい,って言ってたから」と無茶をしてしまうわけです。実際に博士が戻ってきてロボットが壊れていても,それを見た博士は「うーん,やれやれ,いたずらは仕方ないけど,んもー」って感じで,怒らないのです。
それって大事なことだな,と。私は今,博士になって(笑),教える側にあるんだけど,時々この話を思い出しては,ゼミなどで「いたずらっ子歓迎」な雰囲気を作らないとな,と思う。
RやStanのコードなんか,コピペでいいんですよ。でもね,コピペするときに,「この文字変えたらどうなるんだろう」「この数字変えたらどうなるんだろう」って,いたずら心を出して欲しいんだよね。変えたところでPCが爆発するわけでなし,「んもー,やれやれ」とはなっても叱ったりしないからね。
俺が初めて自分のパソコンでプログラムを書いたとき,ベーマガのコードを一生懸命書き写してたんだけど,そのとき「CD PLAY 10」というコード(*注1),この10を9に変えたらどうなるのか,ってやって見たのです。多分あれが最初の改変w 明らかに本文に影響しなさそうな箇所だったし,実際それで変わったのはBGMだったんだけども(CDの10曲目を演奏しなさい,という命令文だった),それでも「変えてもそこまで壊れない」という自信を得たし,また「ここは何に関係しているのか?」と考えるようになったきっかけなわけで。
プロットにタイトルをつけるだけでもいい。発生させる乱数の数を増やしただけでもいい。自分が手を加えることで自分のものになるわけです。
ところで,私は大学院には他大学に進学したのだけど,学部の時の先生や仲間との研究も(こっそり?)続けていて,最初に書いた論文は大学院の指導教員に全く見せてないものだった。先輩や同僚とだけでやってて,掲載が決定してから報告に行った。でも叱られることなんか全然なくて,「掲載おめでとう!じゃんじゃん書け!」としか言われなかった。嬉しかったなあ。叱られるのかな?とちょっと思ってたからね。
これも子どものいたずら心と,それを許容してくれる博士(大人)の世界だったのです。だから,自分のラボで誰かが勝手に論文書いてたら,俺も褒めようと思うし,実際きっと嬉しいだろう。研究者は並行遊びをしているだけなんだから,遊び仲間が自立・自律してくれるのが自分の喜びになるのです。
みんな遊べ!いたずらっ子万歳だ!Enjoy!
*注1 初めての自分のパソコンはFM-Townsだったので,CD-ROMが付いていたのです。当時としては画期的なこと。言語はF-BASIC386といって,富士通のFがついてる。CD Play関数は明らかにTowns用のローカルな関数だったよね。