Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2012 / 1月

卒論締め切り日

一月の末日は卒論の締め切り日。
二人の卒論生,とりあえず事務室を17時にパスしておかないといかんともしがたいことになるので,先にはんこをついて,二人そろって事務室を通過させる。

女の子の方は夕方には出来て,コーヒーブレイク。
男の子の方はコーヒー飲みながら頑張る。
徐々に,ゼミ室から学生があがってくる。パスした学生は,まだゼミ室で頑張ってる人のところで「ばんざーい」とはいかないので,俺の部屋でコーヒーを飲む。

数人おわって,いい時間になったので,女の子たちは打ち上げにいった。

男の子はまだ書いている。

俺は真面目に取り組まなければならない仕事をする元気もなくなってきたので,数部印刷してホッチキスでまとめる仕事とか,MacにParallelsをインストールする作業のような,細々したことに取りかかる。

男の子はまだ書いている。

打ち上げにいった子が帰ってくる。みんな疲れのピークなので,一次会も早々に解散したようである。

男の子はまだ書いているwww

結局,21時半頃に終わった。
提出期限が遅れるのなら,ちゃんとやっとけよで済む話じゃないか,と思われるかもしれないが,個人的には締め切り日は絶対守るべきだと思っている。俺の度量で許してやれる,情状酌量が出来るのは当日まで。
それを超えてしまうと,ズルズルいっちゃうだけだからね。
時間内に書けなかったのは,もちろんその学生が悪いんだけど,ひいてはこちらの指導力の問題だから。

ともかく,無事に出てよかった。やれやれ。



問うことは人間の最大の能力

大学院で統計を教えているんだけど,内容がマニアックになるので講義してます。自作のプリントを使って。

でも,このコマの名前が「〜演習」と演習ものになってる。学生に何か演習してもらった方がよいのだろうか?と思うんだけど,それに気づくのはいつも評価方法について事務に問われてから。
昨年はデータを渡して分析してみろ,といったし,その前はこれこれの分析方法のなかで自分の興味があるやつについてプレゼン(発表)してみろ,という課題にしたが,イマイチ感。

そこで今回は,森博嗣方式を取り入れてみました。
すなわち,「質問させる」です。
森博嗣方式は,質問がなかったら60点。質問に応じて点数が変わる。加点することもあるし,減点することもある。

問う,ということは理解の程度に応じて,あるいは能動的な学習態度に応じて出てくることなので,問い方,問いの内容によってその人の能力が評価できるという考え方。
H先輩も,問いの立て方が一番大事なのであって,問いがあれば答えは見つかる,問えていない理論は駄目,という(個人的には,下手な問いをたてるぐらいなら,問えないなーといいながらぐずぐずしていたい,と思うんだけど)。
確かに,講義の準備も大変だけど,期末テストの問題を考えるのが結構大変だったりするしな。

さて,実際にやってみました。人数も少ないので,お茶を飲みながら。
やってみると,確かに当人のキャラクター,理解度が分かるわけです。こちらもどういう問いがくるか分からないし,その場で答えを探すので少し緊張はするけど。
このやり方,悪くないなぁと思いました。大学院の演習なら,十分やれるやり方だなぁ。
おすすめです。

最後に余談。
さあ問いなさい,というと「初歩的な質問ですが・・・」とか「変な質問ですが・・・」という枕詞をみんなつけたがる。あれはやめてほしい。その場で突っ込んだんだけど,「初歩的(変)じゃなかったら許さんぞ」と思うわけです。
そもそも,初歩的かどうかが分かるというのは,初歩ー発展の軸が出来ていて自分の問いの程度をきちんと評価できていないといけない。今後その問いがどのように展開していくか,というのが分かっているのにあえて問うのはどういう意味があるのか,ということでもって評価しちゃうぞ,というところです。
日本人的な,セルフハンディキャッピング的な表現は,学問の世界には不要だと何度いったら・・・。



知恵と知識と教育と

知識は情報、知恵は知識に経験を加え身体化された情報、というぐらいの意味で使います。それにしても、知恵の情報量は知識のそれの何倍になるのやら。

たとえるなら、知識とはある料理の作り方を書いたレシピを通じて得た印象。知恵はその料理を作って食べたことのある人の持つ(その料理に対する)印象。

さて、昨日卒業生との会話で、高等教育のあり方について言及した。

その時から考えているんだけど、知恵とは教えてしまうと知識になっちゃうんだよね。少なくとも、受け取る側の態度次第ではそうなってしまう。

統計の講義なんかを、わかりやすくやろうとして要約して伝えると、それでわかったような気になられてしまう。

苦労したらこういう知恵が得られます、と口にすると、それを情報として取り入れられてしまう。最悪、その情報を保存しないかも。検索すれば出てくるから。

だから、大事なことは教えてはいけない、という考えもあろう。
でも、ただ作業をさせるというのも、あるいは既定の知識を伝達するだけというのも、やってる方としてはつまらないんだよなぁ。

誰のための、何のための教育なんだろうな。

ま、ひとまずはレシピをみて、作ってみたい!と思わせないとダメってことかな。

若いうちの苦労を買ってみよう、とみんな思ってくれないかなぁ。



発注システムの不備

大学で物を買うとき,本学は研究費の不正使用をさせないという目的で,「現場発注の禁止」が課せられているんだけど。

先日,2500円ぐらいの無線APが欲しいと思って,適当に検索して発注。発注したのが12月初旬。
事務の承認手続きを経て,発注されたのが12/22。なのに,未だに納品されない。
そりゃ確かに「至急依頼」にはしてないし,いつまでになければ困るというのでもないけど,一ヶ月経ってもこないのは困る。

ということで,事務に問い合わせてみたところ,事務から業者に連絡がいって回答を得た。
「その機種は大変人気なので,いつ納品できるか分からない。入荷待ちです」とのこと。

もう怒る気も失せましたけどね。
別にその機種,その型番,その色のものが欲しいわけじゃない。欲しいのは機能なんですよ。
有線ポートが一つ以上あって,無線が飛んで,電源がUSBポートをつぶさない普通のACアダプタがついていればそれでいいのであって。
「同等のものでいいからすぐ納品出来るやつに変えてくれ」とお願いし直しました。

しかも,物が2500円ぐらいのやつなのです。
これだったら,電気屋さんにいって自分で買ってくるから,領収書決済とかにしてほしいよ。もう一ヶ月以上不便してるんだぜ…
自分で買った方がらくちんなんだけど,それは給料が目減りしていることだから,意地でも買ってやらない,と決めたのだけど,心が折れそうです。

こういうシステム運用の不満を伝達する場所も設けられていない。

目安箱とかないかしら。



誕生日プレゼント

前の火曜日は誕生日。昔は誕生日ってのは特別な日,という印象が強かったけど,流石に30を超えるとプレゼントが欲しいわけでもないし,という感じでした。

が,いろいろな人に時間をかけていろいろもらった。
当日はチーズ豆腐とかケーキとか。夕飯もポテトサラダにカレーという俺の希望通りのもの。
木曜日のゼミでは学生にケーキもらったし,先週の送別会のときに用意してくれた角ハイのグラスも,もらって自宅で愛用してます。
妻からは欲しかったタイピン。結構おしゃれで気に入ってる。ついでに,靴を買ってもいいって。最近何回か靴を買っているんだけど,残念な靴ばかりだったので贅沢なんだけどまた買いたかった!それを許してもらえたのはありがたい。
義理の両親からはええ肉をもらいました。今夜はすき焼きでした。うまかった。
金曜日,夜まで会議で,終わってからメンバーの一人とのみに出かけた。いったお店がBAR117。ええとこでした。

それぞれ誕生日当日ではなかったけど,気遣いからプレゼントから,いろいろ嬉しいことが続いてます。
ありがたいことです。



シラミとシーツ

娘がシラミをもらってきたようで。
先日,ふと気がつくとフケがあって,ちゃんと洗えよとかいってたのだけど,どうもそういう問題ではないようだ。
で,長男にもうつった気配。

こりゃまずい,ということで,薬局でスミスリンというシャンプーを購入。三日おきに,このシャンプーで洗わないといけないようです。問題は,子どもだけじゃなくて,家族全員がやらないと,誰かに残っていたら意味がないということで,その日は家族全員スミスリン。

最近,やっと落ち着いてきました。

ついでに,この週末に家族全員の布団カバー,シーツを丸洗い。
おかげでずいぶんすっきりした。

子育てってこういうことの繰り返し,積み重ねなんだなぁと改めて実感。

今も娘は変な咳をしていて,咳を出すウィルスにやられてるかも,とのこと。

面白いのは,生まれて初めて貼る薬というのを処方されたこと。24時間ぐらい効果のあるシールを貼ってます。
確かに効果があるようで,相対的に咳の回数が減ってきたようです。

技術の進歩っておもしろいねぇ。



心理学研究の呪い

修論の査読が終わった。今年は日本語に問題がある学生がいなかったので,文章自体はスラスラ読め,誤字脱字を指摘する必要が少なくてすんだ。
また,事例研究があったので統計的に明らかな間違い,表記ミス,分析不足をしt計剃る必要もなく,そういう意味ではやりやすかった。

もちろん,そういう研究は問題意識のたてかたや分析方法を通読し,「面白いのかどうか」という根本的な問いに基づいて評価するので,学生にとってはそちらのほうがハードルが高いとも思うけど。

で,調査研究の場合。
尺度を使って測定し,相関関係を見るというスタンダードなやり方なのだけど,最近どうしても引っかかることがある。
それは,「切り取ってくる世界はそれでいいか」という感覚に基づく。

心理尺度で測定すれば,何らかの反応は得られるし,その尺度上で比較検討することができる。
逆に言えば,無理やり反応させることになるし,その尺度上でしか検証できない。
だからこそ,用いる調査票には,問題意識に関わる心理変数,世界とか論理空間とか問題空間と呼ぶべきなのかな,が全て含まれている必要がある。

例えば学校不適応について研究したいとする。
不適応尺度について測定すると,不適応の程度が測定される。その後相関係数を出すと,不登校の程度が高い人はどういう傾向があるか,ということが示される。しかしその得点を標準化して比較してしまうと,不登校傾向の高低でしか人が表現されない。
不適応尺度は「学校が楽しくない」「家を出たくない」というような表現で構成されていて,ソコから出てくる因子に命名するときは,どうしても「不登校傾向得点」といったネガティブなことになるだろう。それは合理的だ。

こういうのを見ると,しかし,回答者に「人は多かれ少なかれ不登校傾向がある」という先入観で評価しているように思える。いやいや,楽しく学校に行ってるよ,という人に対して,心理学者が「そんなことはない,人は多かれ少なかれ不登校なのだから,本当のことをいえ」と迫って,「そういわれたら,行きたくない日が一日もないわけじゃないけどさぁ」という反応を捕まえて「ほら見ろやっぱり不登校だ」と言っている,そんな感じに聞こえるのだ。

これはたまたま,今回こういうテーマで修論を書いている人がいたからこの例を出しただけで,その研究だけが悪いと言ってるわけではない。心理学的研究,調査的研究はなべてこういう傾向があるのだ。
どのような尺度を使っても,欠損値でない限り何らかの反応があって,それはその釈度でしか評価しない,その釈度上に態度のほうを合わせろ,といってるような。
尺度だけでなくて,臨床的な研究はその傾向が強くて,人はみんな心に悩みを抱えている,という前提から入って研究している例が少なくないように思われる。

これを,心理学研究の「呪い」と呼びたい。不登校になれ,不適応になれ,抑うつ傾向を示せ,という呪いを被験者にかけているようなものだ。

そして,反対を承知であえて言えば,「お疲れ様です!」という挨拶に同じものを感じるのだ。「この世の中で,なんの苦労もなく楽しく過ごせるはずがないから,その気持ちを先に汲み取って『お疲れ様です』」という感じ。

呪いの言葉と言わずして,なんと言おう。

でも,そういうネガティブなことがあっても,抱えていても,我慢して頑張って「平気です!」という意思に,人間の美学があると思うのだ。それを「我慢しなくていいんだよ」「頑張らなくていいんだよ」と話しかけるのは,美学を出させないぜ?という姿勢でもあろう。

もちろん,頑張りすぎて潰れてしまったら元も子もない,という話はわかる。
研究についても,いや,研究というのはそういうものだ(関心相関性)といった原理的な話から,標準化得点ではなくて素点を従属変数にすればいいよ,という技術的な話まで,わかっているつもりですよ。

それでもあまりにも世の中にネガティブなメガネが掛けられているから,そもそもそんな先入観がなかった頃を思い出そうよ,といっていくことも必要なんじゃないの,と思っている。

北風はバイキングを作ったぞッ!(by荒木飛呂彦



「キャリア妨害」を読む

菊地 達昭
東京図書出版
発売日:2011-05-17

全体で300頁ほどの本だが、うち160頁が第一章で、愚痴である(笑)。似たような境遇に居るものとして、この愚痴に共感できることが多く、「そうそう!」とか思いながら読んでいた。最終章は、公務員体質がいかに組織の安定だけを目指し、改革できないかについて論じてあり、一般化できるので普通の人はここだけ読めば良いかも。

橋下市長が大阪で直面している問題と、同じ構造がここにはあるので、そちらから興味を持って読まれても良いかもしれない。

感想、あるいは私の意見としては、次のようなものである。
現代は確かに昔と違い、硬直した組織の不具合が目立つようになってきた。非効率な組織は改めるべきであり、評価することについての考え方も改めなければならない。ただ、無能であっても幸せに慣れる社会にならないとだめだよね、とはおもう。評価されたくない、のはダメ。能力がないのに高給でラッキー、はもう通じない。でも、無能でも気楽で、安月給でも家庭を維持出来て、食う寝る遊ぶに困らない社会になっていかないとな。

大学も、評価してはいけないところもあるんです。でも、せないかんところもある。大学の事務方はもっと改革について意識すべきだし、教員だってそうだ。この感覚が、もっと多くの人に共有されたらいいのに、と思う。そして、望むらくは、互いに敬意を持ちあって、悪意を持たずに、つまり紳士的に改革していけたらいいな。



MacOS再インストール

プリンタがどうやっても駄目。
ネットの情報を見ても,OSを再インストールしろとしか書いてない。でもOSの再インストールって気が重いよなぁ・・・と渋っていたが,どうしようもないのでやることにした

オプションボタンを押しながら再起動。MacBook Air光学ドライブがついてないので,ネット経由でDLするのに30分。インストールに30分,合計一時間ほどで終わった。

幸い,OSだけの再インストールなので,戻ってきたらIDはもちろん,導入したアプリは残っているし,データも残っているし,で特に問題なかった。プリンタも使えるようになったし。

残る問題は,「なんだったの?」ってことだなぁ。なんでできなかったんだろうなぁ。そして,OSの再インストールでなんでできるようになるんだろうなあ。不思議や。

追記。こちらのサイトてんデジ探検隊: Mac環境で「no profiles in PPD for qualifier 'RGBXX'」というエラーメッセージが出て印刷できない時の対応方法(GhostScriptのアンインストール方法)にあるように,GhostScriptあたりが邪魔してるのかしら,と関係ファイルをゴミ箱に入れてみたけど,問題は解決されず。再インストールの後,ゴミ箱からファイルを元に戻したけど,印刷はできる。やっぱりOSの問題なのかなぁ。うーむ。



新しいものはいい

機会があって,ある方のPC環境をセッティングしたのだが,新しい機械ってのはやっぱりいいねぇ。
セットアップがスムーズになっているし,例えばプリンタが無線で設定できるなど新しさを感じることができるし。

買ったばかりのWindowsマシン,Officeも含めてアップデートが60件もあるのはどうかと思うけどね。




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