科研関係のプロジェクトの一環として,教育測定ツールについてのシンポジウムがひらかれました。
山口での取り組みはどういう者であるかについて,県教委のS先生とともにプレゼンしました。
最近ずっと考えさせられているのは,「教員はシステムというものの見方を持てるかどうかが肝」ということ。全体を見渡す視野と技術を持っているかどうか,が根本的に重要。ところが,そういう視点を持つ人間を育てるにはどうしたらいいか。すなわち,システム教育は可能か,ということについては,否定的な現状しか見当たらない。なぜなら,現場の先生でシステム的な視点を持っている人が少ないし,持っていない人にとっては抽象的すぎて何のことかわからず評価できないだろうから。直接なにかできる力ではなくて,俯瞰的に使う力だからね。
現場の先生にとって,一つの方法は「馬鹿とは仕事しない」というポリシーでやること。確かにわかってない人にわからせる労力って大変だから。でも,そこを何とかブレイクスルーしたいんだよなぁ。
あと,いろいろ学んだことがある。たとえば公務員は三年で異動してしまう。これはどんなよいシステムでも殺してしまう,最強の愚策だよねぇ。誰が始めたのかわからないし,その理由が「公務員は癒着を疑われるからだ」といわれたら納得できるところもあるけど,効率より公平性ってそんなに大事なことなのかなぁ。ここにメスを入れようとすると,かなりの抵抗があるらしい。つまり,公平に入れ替えるシステムだと,誰もスペシャリティを育てる必要がなく,すなわち遊んで暮らせるからである。能力がないやつでも飯が食える,という意味ではいいんだろうけど,そういうやり方が持たなくなっている(人口動態的に)今となっては,大なたを振るわないといけないんだけどな。ま,組織の論理ってのは強いわけです。
さて,そんなこんなで,大学と公務員が手を取り合って何かプロジェクトをしようというときは,気をつけないと異動によって引き継ぎができなくなり,継続性のない話が乱発してしまう。これを何とかするために,大学とたとえば教育委員会との間で協定を交わすのがいいよ,と教わったのはよかったです。とにかく組織と組織のつきあいにしてしまうってことだ。まぁ両者がその重要性,必要性を充分理解しているかどうかが次のポイントなんだろうけどね。お題目だけ唱えていればよい時代は終わったので,そろそろちゃんとやろうぜ・・・ってなってくれないかな。
教員にとって,いま厳しい状況であることは間違いない。広島大学の栗原先生がおもしろいことを言っていた。すなわち,「経験とカンが通じなくなると、人はますます経験とカンに頼る」ということだ。まじめであるだけに,今までの路線でがんばろうとしてしまうんだな。ほとんどの先生は動機的なレベルではまじめで,やろうとしているんだけど,それが認知や技術にうまく接続できないとー栗原先生はそれぞれが積として(システムとして)動くと表現されていた−結局邪魔にしか成らないわけでね。
自分の思い込みをいかに打ち破るか。そして相手が思い込みなので,気持ちの問題で何とかなるものではなく,重要なのは「心がけより仕掛け」である,というのは大事だと思います。