6月中旬の日記

忘れないようにいくつか。

  • 今週は原稿の加筆修正だけですぎた気がする。大幅に加筆し、書いてあったものを消し、加筆したものをまた書き直す。推敲の時間がたっぷり取れていないのが心配。し良く他者から批判的なコメントをもらうと、よくなるのだからやめられない。当初の想定は種本の軽いカバーのようなものだったが、今や全く違う良いものになってしまった。一番年長者が一番情けないことを言ってるけど、言い訳させてもらうなら、当初の目論見よりも狙いが上にいったんだって。いずれにせよ、ここを攻めた類書はないと思うので、出るのが楽しみです。
  • 息子の病気について。子どもの頃に転んで欠けた歯、その時それなりに治療して終わってたのだが、実は神経が死んでだようで、顎のあたりに嚢胞を作っていた。それを取る治療のため、歯の神経を抜いて代わりに針金のようなものを入れ、歯茎を切って嚢胞を取り出す手術をする。検体で正体を確認後入院の予定だったが、検体を取る背術の時に取れそうだから取ってしまうという。理屈ではわかるか、本当にそんなものが、そんなことで、そんなやり方で、と圧倒される感じ。人体の不思議さを医療の進歩に。「歯根嚢胞」か「歯原性角化嚢胞」かのどちらからしく、見た目後者っぽいが、病理検査で確定するらしい。後者の病気は2007年まで腫瘍に分類されていたそうで、再発する可能性のあるものとか。もちろん再発しないよう、歯の根の骨を一層削る処置をしてくれたそうだが。それまたすごい。聞きなれない病気でしょうが、口腔外科業界では結構ある病気で、ご心配には及びませんとのこと。いやまぁ、しかし、すごいもんだわ。
  • PTA主催の高校見学にいく。2校目。ほぼ同じ内容で、教師(校長や副校長)から説明があって、その後校内をぐるりして終わり。自宅から通いやすい場所なので、それは良いところかな。この高校は、大学授業1日体験というイベントがあるらしく、行き先は弊社です。また、修学旅行先が沖縄から中四国に変更になるらしい。なんか俺の周りをぐるぐる回っとるなw しかし概して、地理感のないところに引っ越してしまうと、良い病院、良い学校などのカンが働かないから困ります。高校受験、うまくいくと良いのだが。
  • 笑える会議は少なくて、楽しい仕事は得難い。仕事を楽しむ工夫をするしかないのかもしれないが。しかし金曜の朝やってる会議は、同じ方向を向いている人たちの集まりだからか、毎回の会議の中で必ず一回は笑い声が上がる。これは素敵な縁だな。
  • 人生も平均の半分くらいまでくると、すごい人だなあと思える出会いも少なくないが、誰しもおんなじ悩みを持ってんだなぁと思うこともあったりする。講談社現代新書の「晩年のカント」を読んでても思う。歳をとると自分の世界が他人と共有できなくても、自分に心地のいい状態を維持して自分だけの問いに自分だけで向き合うようになるのかもしれない。いつまでも若く、攻撃的で、青臭く、態度を豹変させられる身軽さを持っていたいが、心身の具合からそれができなくなるのだろう。身体が心の有り様を固めてゆくのだ。
  • 京極夏彦の「姑獲鳥の夏」を読む。衝撃的なまでに面白い。有名な作者で、名前は前々から聞いてたが、文庫本の分厚さの限界みたいな本を書く人という印象だったので、この歳になるまで手に取るのを躊躇していたのだ。いや、面白い。時代設定が古めなのも粋なのだが、その時代背景における心理学や民俗学についての言及が出てくる。そこで語られる、京極堂(物語に出てくるキャラクタ)の知見こそ、まさに社会心理学ではないか。そういう分野の学は、今では学問と言わないのかもしれないけど、私なんぞは社会心理学の一つのありようとして、今後もその場所を確保しておきたいと願っている。学問は、名前を変えても、死なないでほしい。