Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2011 / 4月

娘の電池切れ

小学校も通って二週間。家庭訪問も済んだ。

例の一緒に行く友達とは,「一緒に行ってください」とは言ったものの,次の日からも仲良くなる感じではなく,同時並行的に通学している感じ。
今週からは,もう「待ったり,嫌な感じをもったまま行くぐらいなら,ひとりで行け」と言っていたので,ひとりで行くようになった。家庭訪問のときに,先生にそれはよろしくないですねぇ・・・と言われたらしいが。

さて,今日。
朝起きる時間も,最初は六時半ぐらいに起きてお越しに来ていたぐらいの娘が,さすがに慣れてきたのか,今日は朝御飯ができて7時にななたのでこちらから起こしに行くようになっていた。食べるのも急かすけれども,食べ終わるのが7:20,着替えて家を出るのが7:30といったぐあい。
今日もこのペースで行ったのだが,ひとりは寂しいからおとうさん一緒に行こう,とか言い出す。自立してもらわねばならぬので,小学校はひとりで行けぃ,と送り出す。

驚いたことに,7:50。家のチャイムが鳴る。今頃誰か迎えに来たのか?と思ったら,娘が泣きながら帰ってきた。
いわく,さみしくて・・・らしい。
とにかく,8:00には学校にいなければならないから,こりゃいかん,と慌てて着替えて一緒に送り出す。

話を聞いてみると,どうやら,通学路に小学生が一人もいないのでさみしくなった,と。学校にいっていいのかな?みたいな不安に駆られたようだ。その証拠に,小走りで通学中,学校近くになってやっと二人の小学生連れをみつけ,見つけたとたん「あ,小学生。もう大丈夫,行ってきます」と笑顔で言ったからねw

スタートがちょっと遅れて,小学生の通学ブームに乗れなかったのが問題でした。分単位でけっこう狂うんだな。
娘も,誰かと話をするわけではないのだけど,どこかに小学生がいるということが大事なのだなぁ。
いずれにせよ,慣れてきたこともあっての,中だるみというか,電池切れというか。そういうかんじ。

さて,手ぶらで通学路を歩いている大人は俺一人になった。スーツを着ているわけでもないので,なんだか不審者だなぁ,と思っていたら,数十メートル先を歩く娘の防犯ベルが鳴り出した。

信号待ちの間に,娘が「このベルはシールを取らないと使えないのよ」と,電池の接点をカバーしているシールを指さすので,これはもう取っておきなさい,と抜き取ったばかり。起動したのに,いつもの調子で触ったのだろう。
慌てて駆け寄って,アラームを止める。遠くのほうで警備員や先生が怪しそうに見ている。仕方が無いので,一緒に学校の近くまで行って,「お父さんは,もう仕事に行くからね,行ってらっしゃい」と周りに聞こえるような声で送り出した。

朝から妙な散歩をさせられたのでした。おわり。



【読了】デフレの正体

現代社会の経済的側面を論じている本で、非常に分かり易く、かつ納得できることが書いてある好著。帯には20万部突破!とあるが、この本はもっと多くの人に読まれなければならない、と思う。

内容はサブタイトルが全てを表しているので、あらためて言及する必要もないぐらい。しかも、読み始めて間もなく、第一章の2ページ目で、本書を貫くテーマが太字で書いてある。こんなに早くネタばらししていいのかよ、と思うぐらいストレートだ。

その後の、問題点の整理、他の論調に対する反論、今後に向けた提言などは全て納得できる。

まぁこれが納得できるのは、本書が訴えている「もっと若者の育児世代に金を回さないと内需拡大しないぜ」ということであり、ちょうど俺等世代に金を回してほしい、ということでもあるから、俺等が賛同するのは当然とうけとめられよう。更にいうと、世間の多数決をとると、人数では圧倒的に多い年寄り世代が反対するだろうから、勝てない。まぁそれが結局、諸悪の根源だという話なのだけど。

まぁ人間、美しい引き際というのが一番大事だ、というポリシーをどれほど共有できるか。あるいは、数世代にわたる責任の取り方、というのを意識できるかどうかだろう。
政治家が老人ばかりのこの国では、当分望むべくもないが。

最後に余談。
この本で主張することの一つに、失業率とか出生率という「率」で語らずに、絶対数も見ないと本質がわからないぜ、ということがある。
これはまさに、統計で言うところの、有意差で語って実際の差で語らない愚と同じ。数千のサンプルをとって、有意差が出て、その差が0.05ポイントだってことなんか、少なくないからね。

自戒も込めて、書いておきます。



娘の悩み

小学校が始まって,今日で二週間になる。
忘れ物をしてもけろっとしていたり,友達の名前を全く覚えていなかったり,とまだまだ学習すべきところは多いが,楽しい学校生活を送っているようなので何よりである。
先週は親(特に俺)が緊張していたので,一週間が終わるとどっと疲れていたが,今週は早起きにも慣れ,朝六時頃目覚ましが鳴る前に目覚めてしまうライフパターンを体が覚えてしまった。

さて,登校は近所のよく遊ぶAちゃんと一緒に行く。そういう決まりなのか,登校初日にAちゃんがおうちまで迎えに来てくれて,二人でピューと行ってしまったのだ。
それが三日ほど前から,どうもオカシイ。呼びに来てくれないので,家の前で待て,と送り出した。ベランダから娘がAちゃんと合流する様を見ていると,オハヨウの挨拶もなくすれ違うように先に進むAちゃんを後から追う娘,という構図になっている。

Aちゃんがなんか,おうちで怒られでもして,機嫌が悪いんだろうか,ぐらいに思っていたが,一応その日の夜,「何かけんかでもしたのか?」と聞いてみた。
娘は心当たりがない(私は何もしていない)という答え。もっとも,娘のこの手の回答は,嘘をついていることが多いので眉唾。

次の日は,一緒に並んでAちゃんをまってみた。Aちゃんもお兄ちゃんと一緒に出てきて,対峙したときに嫌そうな顔をしている。娘も泣きそうな顔をしているw
「一緒にいったってなー,いってらっしゃーい」と送り出したものの,やはり何かあるようだ。

ということで,その夜(昨晩)聞いてみた。何度も何度も脅したりすかしたりして聞いてみたところによると,「Aちゃんが『先先いくんやったら一緒にいってやらん』と言った」という。Aちゃんは二年生として,先導してあげたかったのに,娘が追い抜いたのが気に入らない,ということのようだ。どの程度追い抜いたのかはよくわからんが,ともかく過失は娘の方にありそうだ?

で,「無理に仲良くしろとは言わないが,せっかく出来た友達だから,謝って一緒に行ったらどうだ」と言ってみた。娘は「友達100人できるとおもっていたけど,これを機に99人になっても仕方がないかぁ・・・でもまだ99人いるからいいか・・・」と謎のつぶやきをしていたが*1,ともかく一度謝ってみろ,と。それで許してくれなかったりするのなら,こっちから願い下げてやれ,と教えた。

さて,今朝。学校は楽しいのだが登校のシーンは嫌,という娘の背中を押しながら,Aちゃんを待つ。今日のAちゃんは機嫌良く,娘に「いっしょにいこ?」と言っている。
とはいえ,娘と昨晩約束したので,ちゃんと言いなさい,と圧力をかけると,かき消えそうな声で「いっしょにいってください」と。
Aちゃんも「はーい」とちょっと嫌そうな感じで?返事をしたので,これで一件落着。?。

まぁ子供の世界はよくわからん。子供なりのルールもあるだろうし,変数も娘の態度だけじゃなくてAちゃんの状態とか,各家庭の事情とかいろいろあろうさ。
でもその辺を調整しながら生きていくことを学ぶのが学校だろうから,頑張って大人になってもらいたいものです。

*1:一年生は全部で96人であり,友達が100人いるというのは事実ではなく定義のようである。もっとも父としては引き算が出来ていることに驚いていた。



【読了】最新マーケティング・サイエンスの基礎

これいいわぁ。

心理学者はどうしても,古典的・伝統的な統計技法にとらわれがちだけども,マーケティング業界はその辺,自由に取り込んでいくわけで,そういう姿勢は是非見習わんとイカン。

本書で紹介されているモデルは選好空間,知覚空間,セグメンテーション,質的選択,ベイズ推定といずれも最新の統計モデルである。しかも,それぞれに心理学的なエッセンスが含まれている。

特に,ベイズ推定の話は,ベイズの定理からMCMCの説明に突然飛ぶのではなくて,丁寧に話のステップを一つ一つ追っていってくれる(本書では5ステップの思考のジャンプが必要,とある)。ここを丁寧に解説してくれている本は,初めて見た。おそらく理系のあたまをもった著者では創造しにくい,文系ならではの悩み(すぐに実態をイメージしてしまうので,数式の展開だけで納得しない)をよくわかっている書き方だなぁ,と感心した。

心理学者もデータを取るだけでなく,取り方や分析の仕方からもっと夢を見るべきだ。

ちなみにこの本は自分で見つけたのではない。師匠が「これを読め」と教えてくれたのだ。さすがお師匠,お目が高いっ!

さて,もう一度自分の博論を考え直すかねぇ・・・(うしし)



「余剰次元」と逆二乗則の破れ

物理学者が、最先端の研究について、楽しみながら書いたのだろうなというのがわかる、とてもさわやかな読後感をもてる良書です。
社会心理学者はそういう本書けるのかなぁw

さて以前、「エレガントな宇宙(ISBN:9784794211095)」を読んで。超弦理論では、世界は11次元でできているという話に衝撃を受けた・・・というか、ぽかーんとしたのですけど。その本の後ろの方に、11次元のイメージ図が画いてあった。常識的には三次元しか図には描けないとおもっていたので、見ただけでなるほど、こういう表現もあるのかと感心した。

さて、この本が主張するのは5次元、すなわち通常の3次元プラス余剰次元2で、これまでも物理的実験結果を説明しようとする。この説明プロセスがまぁスマートなこと。万有引力の説明から、力の伝播は逆二乗則になること、それが三次元空間であることからの必然であることをひき、さらに他の力に比べて重力の圧倒的な弱さ、に言及して、それを説明するためにはたった2次元追加するだけでイイ、という流れ。素人でも、読んでなるほどね、と思わされますよ。

しかもこの話のすごいところは、個人研究室のプロジェクトでそれを検証できるということ。理論物理はいまや、スーパーカミオカンデや原子の加速装置みたいに国家プロジェクトでないとダメなんだろうと思っていたけど、筆者によると手に乗るようなサイズの装置で、家電品(デジタルビデオカメラ)でデータをとって十分検証できるという。これ、夢が近くにあっていいじゃないですか!楽しいなぁ。

さて、社会心理学者としては、当然心理学的力場はどうなっているんだろう、と考えるわけです。何次元なのか。物理法則のメタファーをそのままもらってもいいのか。それをどうやって検証するのか、「メタファー」と言うだけじゃなくてどうやって説明するのか。等高線マップモデルという先行研究はあるけど、プラスアルファがないとねぇ。
ま、ぼちぼち考えていきましょう。
ひとまずご紹介まで。



事務の苦労をかいま見た

事務室に用事があっていった。改修後の部屋の鍵をもらいに行ったのだ。

三部屋分もらえる,と思っていったら,二部屋分しかないというので,「あれ?三部屋お願いしてませんでした?」と聞いてみた。
すると,係の人→係長→副事務長まで話が伝播して,副事務長は「いや,二部屋。二部屋しか聞いてない」と返事をしている。
まぁ見える範囲で伝播するわけですよ,事務室なんてそんなに広いわけでもないから。

で,「三部屋だと先生が言うてるんですけど」みたいなやりとりがあって,そのときはこっちが見えてなかったんだろうね,「いや二部屋だって」と言ってるっぽい。「どこのどいつが言ってるの」みたいなやりとりがあったようで,係長がこちらを指して「あちらに来られてますよ」みたいなジェスチャー。
とたんに「はい,じゃあ三部屋」となった。

たぶん,俺と交渉するとややこしいと思ったんだろうな(笑)

三部屋申請していたのは間違いない,と思っていたのだけど,そういうやりとりがあるとこちらも「あれー,二部屋しか申請してなかったっけなぁ」と不安にもなったりする。

まぁ申請した,しない,の水掛け論になったとしても,教員と事務員の立場では教員の方が尊重される,というルールがあるから,上も了承したんだろうな,と思う。

それをみていて,あー,俺は事務員になれないなぁと思った。
わがままを言う,と言うか,こちらにとっては正統な主張なのだ。主張が正しければ手続きが後から着いてくる,という発想をする人間と,手続きにしか則れないので手続きぐらい遵守してくれよという人間では,そもそもの組み合わせが悪いんだよなぁ。で,俺は後者の発想が出来ないわけです。相手が偉い人だろうが年長者だろうが,主張が正しいかどうかだけが大事なのだと考えるので・・・。

それを思うと,変人ばかりの大学で事務員として働くというのは,大変なことだろうと思うわけです。

感謝もするけど,主張は通します。
敵対せず,教員と事務員という区別をせず,ぽぽぽぽ〜んと仲良くなれれば良いんですけどねぇ。



「はじめての宗教論」左巻 読了。

一応キリスト教系の大学(院)を出ている人間なのだが,大学内に神学部というのがあるのが,どうにも理解できなかった。
すなわち,神学とは学問なのだろうか,どのように学問を構成するのだろうか,ということについて,全く無知なのである。

この本,上下巻じゃなくて右左巻(うかん・さかん?みぎまき・ひだりまき?)という分け方も面白いのだが,そんな私が初めて知った神学の本というわけです。キリスト教の狭義の中で,どのように論理構成を作っていくかという学問があり得るのだなぁ,と納得。

仕事柄,哲学や思想関係の本も読んだりするのだけど,引用するのは体外西洋の人間である。そんな彼らの「意見・主張」の背後にある信条レベルの系譜がわかる,と言う意味では神学についてもある程度の教養がいるなぁと思ったような次第。

文体が時折,急に断定口調になったりするのは,講義・講演をもとにテキスト化したからだろうと思われる。
なので,お話を聞いているような感じになるが,それが嫌じゃなければ大変読みやすい本です。



道又爾著「心理学入門一歩手前」

心理学入門一歩手前―「心の科学」のパラドックス

TwitterのTLで流れてきたので興味を持って,読んでみた。「心理学入門一歩手前―「心の科学」のパラドックス」。
教養の心理学を担当しているが,そこで俺が言いたいことの半分は,これに書いてあるなぁという感じ。
心理学のテキストは,冒頭に「心理学は科学である」みたいなことを必ず書いてあって,それを口やかましく言うことで伝えようとするのだけど,この本が良いのは「何でそれを言わなければならないか」を心理学者側の視点からではなく初学者の側から言うところにある。すなわち,心理学者が「心理学は科学である」ということを躍起になって伝えようとすると,初学者は「なんかうるさいのが言ってるぜ」と思うだろうけど,この本は「初学者の考える心理学ってこうだろう。でもそれおかしくね?」というところから入るのだ。

例えば「心理学は「心理−学」だと思うでしょ?でも「心−理学」ですよ?」という表現。これは俺も今まで講義中で言ってた台詞だったので,あー同じこと考えてる人がいるんだ,とおもった。もちろん,本になっているから,俺の講義を聴くより論理的で整合的で落ち着いて理解できますw
そこから心理学の歴史に入っていくのだけど,その構成の仕方も良かったなぁ。

最後にギブソンの「生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る」の話や,仏教の話にも触れてあって,これは読者の好みが別れるところだろうと思うのだけど,私個人的にはとても良かったです。

ギブソンの本は積ん読になっているから,こりゃあしっかり読まないとなぁ(あとマーの「ビジョン―視覚の計算理論と脳内表現」も)。

ということで,初学者にもお薦めの一冊。
講義の副読本に決定!(来年はテキストにしよう。今年はもうシラバスが変更できない・・・)



自粛ムードの気持ち悪さ

先週末は花が見頃で。
今年は晴れが多かったせいで、花見のチャンスも多かった。私もなんだかんだで、桜の花をあちこちで楽しみました。

一方、関東の方は自粛ブーム。
自粛ブームってなんかやだなぁ(ブームというものがそもそも嫌いだ。THE BOOMは別にして。)、とおもってたけど、その違和感の出どころに気づいた。

テレビで自粛した人が、「何となく、心情的に、そわなことできない」と語っていた時は、この非論理性がきらいなのかな、とおもっていたが、次に映った被災者が「自粛して欲しいですね」と言ったのでピンと来た。

他者が誰かに向かって「自粛しろ」というのは、矛盾してるのだ。従ったら、他者による禁止になってしまう。

腹が立つのは、自粛しろという人の、「自分は禁止命令に対して責任をもちません」というスタイル。
言えばいいんだよ、自分のこととして、ヤメろと。
それにおめおめ従うのも主体性に欠けるねぇ。

このような表現が好まれるorまかり通るのは、いつぞや危険地域にいってゲリラに拉致された人に対する「自己責任だ」を周囲が押し付ける、あの雰囲気と同じだ。地持ち悪い。

全然自己じゃない。

なんでも自己に帰属すれば個人を尊重してると思うなよ!



春の公園で

天気も良くて特に予定のない日曜日。
久しぶりに維新公園に来てみた。
先日卒業式の時に来て,子供の遊び場が工事現場になっているのを見た。さらに,明らかに今までになかった遊具が設置されているようだったので,新しくなったら連れてこようと企んでいたのだ。

きてみると,まずすごい人。車での道中で,公園内で花見客を大勢見かけ,駐車に苦労するほど。
遊び場はといえば,これまた大量の親子連れ。

遊具は刷新されており、子供達より俺の方が興奮。
早速子供たちをけしかけた。

ところが新しい遊具を怖がって全く遊ぼうとしない息子。特にすべり台は恐怖らしい。
階段というものをおよそ登ろうとしない。しかし,立体移動しないとなれば,人がうじゃうじゃ要る中で,うろうろするだけになるのだよ,息子よ。
長女は楽しげにあちこちの遊具に登ったり降りたりを繰り返している。

さて,そこで遊具が変わっていないような,室内場の方に移動しようと思い立った。
ジャングルジム的なものがあるし,「ジャングルビンゴ!」と何か少し勘違いしていつつも興味がありそうだったので。

中にはいって,さぁ行け,と放牧してみた。が,やはり人並みに交じるのが苦手そうな息子。
娘はここでもキャイキャイ遊んでいるのだけど。

で,ふと気づいた。あー、息子が遊ぶの下手なのは、幼稚園に行ってないからか,と。
内弁慶というか,家の中では知っている人ばかりだけど,知らない子と遊ぶのには時間がかかるんだよな。
お客さんが来たら,三十分ぐらいでなれるんだけど,ここではそういう「特定の誰かがいるが,そいつは外を与えそうにない」という判断ができる状況にないのだ。
仕方ないか。

しかし,ウロウロしながら自分のポジションを探し、遊び方がよくわからない感じは、大学の新入生と同じである。
今週,職場に新入生を迎えたが,彼らもまだ大学というのりがわからない感じなのだ。それに対して上級生は,大学の雰囲気の中で,大学らしさを楽しんでいるように見えるのだろう。まぁ,ぼちぼちだね。

さて,そういうことならとりあえず、屋内は良くない。どうせ遊べないなら、太陽の下が良い。

人ごみを避け,裏手に移動。そこでの,小さく人気のないすべり台には,息子は喜んで登り,滑りする。
大きさの問題か、人見知りの問題か。いずれにせよ、気にするレベルではなさそうだ。

これからも時折連れださねば。

帰りの車の中ではぐっすり眠ってしまった息子でした。




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